戦艦陸奥の鉄から作られた太刀「青海波」のサイトです。
第二次世界大戦の戦前から戦中にかけて活躍した戦艦「陸奥」の鉄です。
1970年ごろ、旧大蔵省と深田サルベージが払い下げ契約を締結。同社の所有物として海中から引き揚げられ、鉄屑として売却されました。
鍛刀: 満足弘次 刀匠
彫刻: 片山重恒 装剣金工師
研磨: 柏木良 研師
注文: 堀江仁貴
後援: 駆逐艦菊月会
管理: 青海波事務局
三笠刀…玉鋼7:三笠砲身3
青海波…玉鋼9:陸奥装甲1
三笠刀と比べ、青海波は戦艦の鉄に対する玉鋼の割合が上がりました。
理由としては、満足刀匠の試行錯誤の結果、特殊鋼(戦艦の鉄)中のニッケルNiとクロムCrの比率が三笠刀より上がっており、同じ割合では非常に硬くなり作刀に向かないこと、また焼き入れ性がよくなりすぎる(刃文が形成されにくい)ため日本刀として成立しなくなることが判明したことが挙げられます。
出典: 装甲鋼板データ - 大砲と装甲の研究 - Internet Archive
太刀 銘備前國長舩住弘次作 柳匠堂重恒彫
以戦艦陸奥防禦鋼板鍛 令和元年牡丹華(号 青海波)附 波浪図銀地一重鎺
《佩表》
備前國長舩住弘次作
柳匠堂重恒彫
《佩裏》
以戦艦陸奥防禦鋼板鍛
令和元年牡丹華
「為萬世開太平」とあり、「萬世の為に太平を開く」と読みます。
『近思録』に典拠を持つ玉音放送の一節です。
「将来の為に平和への道を開く」が、およその意味です。
有名な「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の後に、「以って萬世の為に太平を開かんと欲す」として続きます。
「太平の世がいつまでも続くように」という願いが込められているとされる青海波文様。
陸奥鉄と同じ海由来のものであることと、刀身の碑文と同じ平和への願いから、「青海波」の号を採りました。
「青海波」の姿は元帥刀に由来しています。
一般的な鋒両刃造り(小烏丸造り)との違いは、鋒が鋭く、鎬が棟側に寄っているところです。
佩裏には菊の御紋章の代わりに海軍の「桜に錨」が彫られています(元帥刀の佩裏は陰十六八重表菊の金象嵌)。
加納夏雄の作、水龍剣の鎺を参考にしています。
水龍剣のものは、金無垢で華やかな印象ですが、青海波のそれは、落ち着いた印象にするために銀無垢を採用しています。
刀身の柄に被われる部分です。ここに銘を切ります。
太刀は刃を下にして腰から吊り下げて佩きます。このとき、体に付くほうが佩裏、体の外側になるのが佩表です。
七十二候の一つです。令和元年の牡丹華は5月1日ごろです。
銘とは、茎に刻まれている文字を言い、号とは、銘に関係なくついた愛称を言います。また、碑文とは、刀身の鞘に被われる部分に刻まれている文字を言います。
刀身の手元の部分に嵌める金具です。刀身を鞘に固定する役目をし、かつ鞘の中で刀身を浮かせたまま支えておく機能があります。
ホオノキの柄と鞘のみで仕上げられた外装を白鞘と言います。白木のままのため、鞘の内部で湿度が調整され、刀身が錆びにくいとされています。
約10kgです。ただし、折り返し鍛錬の過程で最終的には約1kgまで目減りしました。
令和2年現在、白鞘のみです。
今のところありません。
鍛刀代、金工代、研磨代、白鞘代で合計300万円です。
このサイトの構築や「青海波」の写真撮影といった、広報による支援を指します。